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9.11テロの真相 - WTC&ペンシルベニア編
学研「ムー」2003年10月号掲載(一部改定)
[WTC倒壊の謎]
2001年9月11日朝、ニューヨークでは、ハイジャックされた2機の民間旅客機が世界貿易センター(WTC)に突入した。WTCは2棟とも数時間後に崩壊して避難中の多くの人々が死亡し、死者・行方不明者は2811人(犯人グループを含む)と発表された。アメリカン航空11便(B767)は、午前7時45分にボストンを出発してロサンゼルスに向かったが、途中でハイジャックされて、午前8時45分にWTC北棟に突入した。そして、ユナイテッド航空175便(B767)は、午前7時58分にやはりボストンを出発してロサンゼルスに向かう予定であったが、途中でハイジャックされ、午前9時5分にWTC南棟に突入した。この事件の様子はテレビで詳細に中継され、一見すると、不可解な点は存在しなかったかのように思われる。
しかし、なぜWTCが倒壊したのかについて疑問の声が上がっていた点に関して思い出して頂きたい。WTCの倒壊は、突入した飛行機がビル内で起こした火災により、鉄骨が熱で溶解したことが原因とされている。
ところが、事件当時の映像や写真、証言を吟味してみると、大きな誤解が存在していたことが分かるのである。
2001年11月1日付の毎日新聞では、航空機衝突の衝撃はマグニチュード1程度とも言われ「その程度で崩壊するはずがない」との見方もある点を紹介している。

東大の菅原進一教授は「地下で何らかの爆発があったのでは」と言う。映像では、ビルは沈むように崩壊し、エレベーターなどを支えた内側の鉄柱もほとんど残らず倒れ、斜めになった鉄柱もなかった。「ものの見事に壊れており、衝突だけで起きたとするのは不自然。地下で爆弾テロが起きたと仮定したら説明がつく」。WTC崩壊後、周辺の六つのビルが倒壊したことも「敷地全体の地下構造が崩れ、ビルごと引きずりこまれたとみられる。爆破で地下の壁が壊れたと仮定すれば納得がいく」と指摘する。旅客機衝突後に現場で別の爆発音を聞いたという証言もある。

もっと具体的に関わった人物の証言がある。WTC設計の建築家の一人であるアーロン・スワースキ氏は、「ボーイング707が激突しても耐えうるように設計した」と語っている。そのため、WTCの倒壊は、彼にとって大変ショックなことであったという。
また、Energetic Materials Research and Testing Centerの元ディレクターであり、New Mexico Institute of Mining and Technologyの副社長であるヴァン・ロメロ氏は構造物破壊の専門家である。彼は、計画的な破壊に利用される制御された爆破と極めて似ていることを指摘した。そして次のように結論付けた。
「ビデオテープを見ての私の意見であるが、WTCに飛行機が激突した後、ビル内に仕掛けられた爆破装置が倒壊を起こした」
これは単なる憶測ではなく、理に適っていたようだ。
2002年3月12日、NHK衛星第1放送ではフランスの「F2ニュース」とスペインの「TVEニュース」を取り上げた。F2ニュースでは、1機目のWTC激突映像を撮影した3人のフランス人カメラマンを出演させ、その映像を紹介した。彼らが事件直後にWTC北棟に入ると、右手奥に大きな炎が上がっていたと証言している。
TVEニュースでは、事件当時WTC保全責任者であったウィリアム・ロドリゲス氏(プエルトリコ出身)へのインタビューを紹介した。事件直後、ロドリゲス氏は、WTC北棟39階の事務所に居た。航空機が突入した時、発電機か何かが爆発したと思い、上司に報告しに行こうとした。その途中で、航空機燃料に引火したのか航空機の爆発音を聞いた。次に、もっと大きな爆発音を聞いた。そして、「爆発した! 爆発した!」と叫びながら人が駆け込んできた。その人は全身に火傷を負っており、右腕の皮膚が手袋のようにただれていたという。
奇妙なことは、強い衝撃を受けたと思ったら、館内放送で「65階がやられた」と告げられ、この爆発で65階から44階までが崩れ落ちたと証言したことである。
他のテレビ番組でも、WTC北棟から脱出した人が、20階から30階で数度の爆発音を聞いている。
実際のWTC北棟に突入したアメリカン航空11便(以下11便)は、110階の高いところに激突している。以上の証言を考えると、WTC北棟では数箇所で爆発音が聞こえていたことになる。となると、予めWTCには爆弾が仕掛けられあって、航空機の突入に合わせてビルを完全破壊させたのであろうか?
実は、興味深い証言がある。当初、ニューヨーク消防署の主任放火調査官は、9月12日のテレビのインタビューにおいて、内部からの爆発がWTCを倒壊させたと証言しているのだ。
さらに詳しい証言を紹介しよう。9月12日に得られた、ハーレムの第47団所属の消防士ルーイ・カチオーリ氏(51才)の証言である。

「私たちは、航空機の激突の後、最初に第2タワーに入ったものです。私は、従業員達を避難させる体制を取るために、消防士達をエレベーターで24階に向かわせていました。24階に登り切る時、爆発が起こりました。私たちは、建物の中に爆弾が設置されていたと思っています。私はもう一人の消防士に一緒にいるように頼みましたが、それは正解でした。私たちはエレベーターに閉じ込められてしまったのですが、彼は脱出するための工具を持っていたからです。」

さらに、最初の放送において、炎上するビルを目の辺りにしていた人々にインタビューが行われたが、その際、コメンテーターがビルを見ながら次のように言っている。
「聞こえましたか? ポッポッポッという音を。ビルから窓ガラスが吹き飛んで、ビルが崩壊するのでしょうか?
外に吹き飛ばされた窓ガラスは、下から上に向かっていて、上から下ではありません。私は見ましたよ。聞きましたよ。それらは爆発だったと自分に言いました。のちに、私は同じ場面が放映されたのを見ましたが、音が消されていました」

[地下に爆弾!?]
これだけ決定的な証言が存在すれば、爆弾がWTCの数箇所に仕掛けられていたことはほぼ間違いない。特に、ビルを完全倒壊させるためには、地下に爆弾が仕掛けられている必要がある。そのような情報はあるのだろうか?
実は、存在するのである。コントロールド・デモリション社の社長マーク・ロイゾー氏は、構造物の破壊に関しての専門家であり、オクラホマ連邦政府ビル爆破事件でも検査を行った人物である。その彼が事件2日後に現場にやって来て、AFPのインタビューに次のように答えている。
「ええ、地下に鉄骨を溶解させた高温のスポットがありました。地下7階に相当する、メイン・タワーのエレベーター・シャフトの底部でした。」
さらに、事件の1ヵ月後になって、彼は新たな発見をしている。地下の基礎に連結された47本の柱で支えられた中央部分で、溶解した鉄骨が見つかったのだ。建設用の鉄骨は極めて溶解点が高く、1500度以上である。地下21メートルもの深さで、酸素供給が不十分な場所だ。そこで、強力な激しい溶解熱が発生したのはなぜだろうか。
専門家は、ジェット燃料や、紙、カーペットの燃焼で高熱が得られたと推測したが、これにも矛盾が存在した。ジェット燃料が燃えた場合、十分に酸素のあるところで、最高830度程度にしか達しないのであり、鉄骨の融解点の半分程までしか届かないのだ。
彼は興味深いことに、次のようなことも語っている。
「もし私がタワーを倒壊させようとしたら、ビルの重さを利用して構造物を破壊させるために、地下に爆弾を仕掛けるでしょう」

さて、飛行機がWTCに激突した際の衝撃と、WTCが倒壊した際の衝撃はどの程度のものだったのだろうか?
WTCから北に約34キロ離れたニューヨーク州パリサデス市には、コロンビア大学の施設があり、地震計が設置されている。事件当日の9月11日、最大の振動が得られたのは、南棟の倒壊では、9時59分の10秒間でのマグニチュード2.1、北棟が倒壊した10時28分の8秒間でのマグニチュード2.3であった。
しかし、興味深いことは、この最大の振動が得られたのは、ビルが倒壊を始める瞬間であったことだ。本来ならば、残骸が地面に落下した瞬間に最大値を記録せねばならない。しかも、倒壊が始まる瞬間に記録された衝撃は、残骸が地面に落下した際の衝撃の20倍以上あったのである。結局、専門家達はこの謎を説明することが出来なかった。

[事実の隠蔽か!?]
2001年9月28日のニューヨーク・ポスト紙は、マンハッタン公判陪審が、マフィアがWTC倒壊現場から鉄骨を盗んでいる件を調査していると報じた。翌日、このニュースはニューヨーク・タイムス紙やシカゴ・トリビューン紙でも掲載された。WTCビルの残骸は、スタテン島に集まられ、それでしかるべき機関が調査を行うことになっていた。ところが、255トン以上の鉄骨が盗まれ、まったく別の3箇所のくず鉄置き場で発見されたのだ。警察本部長のバーナード・ケリック氏によると、組織犯罪統制局は、貿易廃棄物委員会と伴にこの事件の調査を始めた。そして、盗まれた鉄骨は、ニューヨーク州ロング・アイランドの1箇所とニュージャージー州の2箇所のくず鉄置き場で発見され、調査が行われているとのことであった。鉄骨を盗んだ者達によると、100ポンド(45.4キロ)あたり$1.60が支払われていたという。一部の残骸はスタテン島に戻されることになったが、この事件の調査は進まず、誰がこの組織的な犯罪を行ったのか判明していない。
このような事件を考えると、やはり、証拠となる鉄骨を隠すべくある勢力から指示が出ていたことになる。ペンタゴンでの事故ばかりか、WTCの爆破と倒壊も、仕組まれたものであったことがこれで判明した。
ところで、もう一つ興味深い点がある。WTC北棟に突入した最初の11便であるが、機体はB767が使われていた。ところが、それと矛盾する目撃証言が存在するのだ。
事件当初、NBCテレビは最初の目撃者とされる女性の証言を取り上げた。その際、彼女は「小さなプライベート・ジェットがWTC北棟に突入した」と言ったのだ。そればかりではない。2001年10月25日、上院軍委員会において、NORAD(北米防空司令部)の指揮官ラルフ・エバーハート氏は次のように述べている。
「我々はそれが軽量の小型旅客機であったと教えられた。それ(倒壊)は、一機の軽量小型旅客機によって起こされるようなものではなかった」
これは簡単に否定できる情報とも言えない。もし事実であるとすれば、替え玉の小型飛行機がWTC北棟に突入したことになる。そうなると、本物の11便はどこへ行ってしまったのか? ペンタゴンでの出来事と同じであるのか?
いや、ニューヨーク近郊では他に墜落事件は報告されていないはずである。となると、別のシナリオを考える必要が出てくる。しかし、これは事件関係者が語ってくれない限りは、我々には知りえない謎と言えるかも知れない・・・。

[ユナイテッド航空93便]
ユナイテッド航空93便(以下93便)は、サンフランシスコに向けて、ニューアーク空港を午前8時1分に発つ予定だった。WTCへの最初の激突の1時間50分後、93便はペンシルベニア州のシャンクスビル近郊の廃坑に午前10時37分に墜落した。
実は、TVネットワークの最初の報道は、正確にこう伝えている。
「93便は、軍用ジェット機により、撃墜された」
この情報は、活字にもなっている。
2001年9月14日付の『USA Today』紙によると、「現地の住民いわく、2機目の航空機を目撃したという。多分、それはF-16戦闘機であり、破片が空から降ってきた」という。
また、9月14日付の『ピッツバーグ・トリビューン・レビュー』紙によると、「墜落現場から8マイル離れたニューボルチモアで、機体の破片が発見された。東に向けて飛んでいた機が墜落したとき、南東から9ノットの風が吹いていたとFBIエージェントのクロウリー氏が言った」という。
2001年9月13日付のピッツバーグの『ポスト・ガゼット』紙によると、9月11日、サマーセット・カウンティーのシャンクスビルのはずれでは、住民と働いていた者達が、衣類、本、紙、人体の一部らしきものを発見したと伝えている。ある住民は、カバンいっぱいの残骸・遺留品を集め、捜査官に渡したという。別の者は、墜落地点から6マイル近く離れたインディアン湖に墜落破片らしきものが浮いているのを報告した。
この報道で興味深いことは、墜落地点から6マイル(約10キロ)離れた湖でも飛行機の破片が発見されるなど、広範囲に散乱したことである。 これは、空中で爆撃されたという目撃証言を裏付ける。そのためだろうか。墜落現場は、厳重に立ち入り禁止となったのだ。
2002年3月11日付の東京新聞の記事を紹介しよう。

現場に遺族 今も入れず
93便の乗員乗客の遺体はサマーセット郡の施設に安置されていたが、先月末から家族の元へ搬送され始めた。しかし、6カ月前の「あの日」から、全く変わらないのが墜落現場の立ち入り禁止措置だ。周囲約20万平方メートルはフェンスで囲まれ、遺族でさえ近づけない。
同郡93便対策室のスーザン・ハンキンソン氏は「約100万ドル(1億3千万円)の予算で1日24時間、保安官が警備している。 物好きな連中が現場を荒らさないよう警戒している。フェンスの中に入れば逮捕される」と警告する。
「英雄伝」の陰で、米戦闘機による「撃墜説」がささやかれている。根拠は、こうした過剰警備だけではない。遺族が要望したボイスレコーダーとフライトレコーダーの公開も拒否されている。レコーダー類は、ニューヨークの世界貿易センターに激突した二機からは未回収だが、ほかの現場では発見された。
モラー連邦捜査局(FBI)長官は、国防総省に突入したハイジャック機から回収したレコーダーの分析により「飛行機の高度、速度、方向などさまざまな情報が得られた」と説明する。しかし、93便のレコーダーについてはコメントを一切避けている。

93便に何が起こったのか? 米戦闘機による撃墜を隠蔽したかった背景がありそうだが、次なる犠牲者が出ることを考えて撃墜したのか、それとも、任務を遂行できなかったハイジャック機を、口封じとして葬ったのか?

[考察]
以上のように、9.11テロの実態は、米当局の発表とは大きく異なっていた。ペンタゴンでは巡航ミサイルが使われたか、或いは、事前に爆弾が仕掛けられていた可能性が高い。また、WTCにおいては、仕掛けられた爆弾によって倒壊が起こったと解釈するのが自然であろう。このように、大規模で、計画的な犯行を実行できる犯人とは一体誰であろうか? そうである。米政府内部の人間による組織的な犯罪であったとしか考えられないのだ。アメリカは歴史上、最大級のヤラセを行った。自作自演のテロである。事件当初、WTCへの航空機の突入が真珠湾攻撃の神風特攻隊に喩えられた。戦争とテロとは比較にならないものであるが、極めて類似していたことはあった。真珠湾攻撃においては、ルーズベルト大統領は、3週間も前に真珠湾攻撃の開始日時を正確に知っていた。ところが、ハワイ駐留米軍から日本軍の動きを把握する暗号解読器を敢えて回収した。そして、真珠湾攻撃の開始日時をまったく伝えなかったのだ。不意打ちされたシナリオを作ることで、アメリカ市民の怒りを煽り、参戦への支持を取り付けるための戦略であったのだ。
9.11テロもまさに同じであった。戦争開始への口実を作り、国民から支持を取り付けるための、史上最大の自作自演劇であったのだ。金と権力に溺れる指導者は、自国民をも犠牲にした。しかし、これはいずれアメリカ市民によって暴かれるだろう。そして、アメリカという国家の再生に繋がることを私は期待したい。
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